086

 

未見坂 (新潮文庫)

未見坂 (新潮文庫)

 

 去る春休みのこと、部屋に残された最後の空きスペースにカラーボックスをでんと構えて、部屋に転がる雑多な本をまとめた。収納だけが目的だったので、カラーボックスの上にちょっとした空間が出現したことが想定外で、とりあえず知人からもらった麻の布生地を敷いてその上に積読本を並べてみて、出かける前や寝る前にはそこから適当に手に取るようにしている。ただし積読本は積んでいる時点で本の役割を果たしているも同然だから必ずしも全部読む必要はない、というわけで気楽にやっていこう、と心に留めて積読本との距離を測っていたら、ついあちこちで本を買い貯めてしまって流石に積みすぎてきたので、今年の夏休みは前言撤回して暇を見つけては消化に努めよう、ということにした。

 そういうわけで読んでいる。

 昨年の大雪の頃に、前々から気になっていた堀江敏幸の『いつか王子駅で』を読んで以来、この作家の書く小説や散文のとりこになってしまった。某一人勝ちの思想家は彼のうわべの朴訥とぬるさを暗に非難していたけれど、それに同意したとしても読みたくなるからしょうがない。それほど魅力を見いだしてしまっている。僕にとっては帰る場所を見つけたようなもので、実際そういう個人的な関係を結べる作家や作品を僕はそう多く持ってないので、いちおう大事にしているつもりだ。すっかり忘れていたがこの積読本を並べるのも、この作家が実践していることをアレンジしたものだった。こう書いてみると気持ち悪い。

 今読んでいる『未見坂』は、表題が地味だしなにか賞が付いたわけでもないので、堀江作品のなかでは若干脇にある小説のようなのだが、しかしおそらく堀江読者が求めているだろうほんのりとした味わいは、他の作品に劣らず十分に堪能出来る。堀江作品の入口にとても良い連作短編集『雪沼とその周辺』と関係した地域がこの作品の舞台で、そこに暮らす様々な人の日常の出来事を、これも連作短編でまとめている。些細な出来事でさっと始めながら、登場人物たちの半生に刻まれた明るい部分も仄暗い部分も徐々に明らかにしていき、出来事を淡々と綴って、しかしじんわりと余韻を残して終わる、というこの手つきが心地よい。

 たとえば「プリン」では、母の体調不良が話の中心で展開して、家の不幸やそれにともなう親族関連の事件のあらましが綴られ、全体的に疲労した暗い陰が差す。しかし初めの終わりに現れるプリンをめぐるやりとりが、その陰を引き受けつつ絶妙に重さを和らげていて、読み終えると複雑な色調を帯びた、あたたかい感情を覚える。と、拙い文章で書いてみるとこんな感じである。

 まだ全部読んでないのでゆっくり読み進めたいけれど、こんな具合で一編ごとに本を閉じて余韻を楽しみたくなる。喩えるのも恥ずかしいけど、ダシの味わいに似たものがこの小説、のみならず堀江作品の大部分にはあるように思う。いまのうちに文章にしておかないと忘れてしまいそうと思っていそいそ書いてみて、字数にびっくりしてそろそろやめようと思うが、あたたかみを忘れないためにも時々こういうことを書くかもしれない。

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085

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図書館でCDを借りてきて、何の気なしに解説書を開いたらこの通りしてやられた。一人大爆笑。開けてから言われても。

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084

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 この頃はBoulezのLe Marteau sans maîtreの分析に取り組んでる。取り組んでるっていうか、まーなんというか実態はもう息も絶え絶えなんですが。今年は楽理の音楽学演習をとっていて僕も発表することになっていたのだが、期日が近づくにつれて段々やる気と焦りがでてきて、腰も重くなるなかちまちまとやっている、という具合。

 Marteauの一般的理解といえば、a.)ブーレーズがトータル・セリーのどん詰まりのなかで、方法論を徹底するかたちでそれを内破し、「作曲」の領域を新たに獲得するに至った、戦後を代表する記念碑的な作品である。b.)しかし一時まで分析不可能と目されていたように、複雑で特異な方法論を用いているらしく、良く分からないところも多い、およそこんな感じだと思う。少なくとも不勉強な僕の理解はそんなもので、今回のように外から取り組む機会を与えられなければ、曖昧な理解のままだったかもしれない。

 Marteauを分析しようと思うと、必ず青い本にぶち当たることになる。これは1990年にLev Koblyakovという研究者がまとめたピッチに関する全楽章の分析を記した専門書で、なんとスケッチも本人の証言もなしにスコアだけで分析を試みて、かなり正確に「解読」したというちょっと凄い仕事である。ブーレーズの創作の気合いが一方にあれば、こちらは研究の気合いで張ったというところか。Koblyakovは本書執筆後にはじめて本人に内容を読ませ、合ってる、すごい、と言わしめたのだそう。

 ちなみに10年前にはザッハ―協会と何人かの音楽学者によってまとめられたファクシミリ集が出版された。Kovlyakovの青い本はピッチの分析だったが、ファクシミリを見ると音価ダイナミクスなど他の要素についても分析の手がかりがつかめる。僕は「激怒する職人」ツィクルスの作曲原理を調べており、ファクシミリをみると詳細な計画表が残っていて、これがおもしろい。しかしながらファクシミリは全体的に肝心なものに限って欠落していたりしてて、方法論の全容をつかむのはなかなか難しい。ゆえにまだこの曲には隠されている秘密が多い。

 それにしても作曲家が生きてるのに、この分析研究をめぐる経緯はちょっと奇妙でもある。率直にもっと作曲家に語って欲しいものだが、と思うのだけど、あまり情報を開示しないあたりは本人の性格によるものだろう。おそらく。多くの作曲家が抱いたであろうもやんとした気持ちを、僕もまた今思っている。

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083

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みかんを貰ったので冷凍庫にいれてみた。で、食べようと思ったらカチコチすぎて皮すら剥けなくてやむをえずしばらく自然解凍に任せようと放って、欲求を果たせぬままとりあえず写真を撮ってみたやつ。

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082

 

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

 

苦労しつつ読了した。ノーベル文学賞で話題になった年にミーハー気分で買ったはものの、読んでは挫折、読んでは挫折を繰り返したのちにギブアップして放り投げ、しばらく部屋で分厚い置物として鎮座しておった。今年の春になんとなくチャレンジしようと思い、もうノーベル賞がなんだとかも忘れて、ただ純粋に読み進めることに努めていた。それでも2ヶ月くらいかかったかも。

なにに苦労したかと言うと、ここには9つの短編が入っていて、どれもわりと年取った人物の生活や記憶の一コマが中心なのだけど、なんというかその40代以上にわかる感覚?が物語全体を回している風で、若造の僕は読んでてぼーっとしてしまうというか、あまり上手く入っていけなかった。多分僕がもっと歳を取れば、もう少しはこの機微を味わうことができるのだろうな、と思う。大人の小説というやつなのだろう。これぞ。

しかし若造ながら印象に残る場面はいくつかあった。「浮き橋」の最後の場面、真っ暗な浮き橋を進んだ先の満天の星空とか、そんなロマンチックな風景がアメリカ大陸にはあるのか……と布団のなかで感嘆。「イラクサ」終盤の2つのクライマックスも、ずっしりした読後感をもたらしてくれた。「クマが山を越えてやってきた」「恋占い」「記憶に残っていること」も好き。次に思い出すまで本棚に納めておこう。もう少しマシな感想を抱けるといいなあと思いつつ。(売りに出したりしないといいけど)

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081

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引き続きポトス。根っこに近い丈夫そうな茎からこう生えてくるのを見るとおぉーっすごい、と感心する。葉っぱ一枚伸びて開くのに1ヶ月ほどかかったけれど、その間に根っこはうじゃうじゃしてきた。一ヶ月半前に挿したとは思えないほど根が伸びてる。もうそろそろ植え替えよう、植え替えたい、植え替えねば……。

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080

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ポトス剪定&挿し木してからだいたい一ヶ月くらい経ちましたが、失敗ナシな模様です(v ̄ω ̄(v ̄ω ̄(v ̄ω ̄)

茎だけにしたものも、いけるっしょ!と思ってやってみたら本当に枯れなかった。こうやって生えてくるんだなあ、と毎日感心して眺めてる。全体的に不格好なのが残念だけど。

 

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079

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部屋の隅で栽培(放置)しているポトスを剪定して、挿木をしてみてる。

ずっと水だけで栽培していたわりには結構伸びていたのに、冬の寒さですっかり葉を落として見た目が悪くなってしまった。先月の終わりに手入れをしてみたものの、不格好さは変わらず。本来ならばポトスに優しい言葉をかけながら育てるべきなんだろうけど、こちらでは「ポトスすまねえ…ほんとにすまねえ……あなたを何も知りませんでした……」と人間が植物に謝罪をし続けている環境なので、まあなんか独特な育ち方をしていらっしゃるのかなと…。

挿木のほうは今のところうまくいってるので、一ヶ月様子みたらハイドロカルチャーを試してみようかしら、などと思ってる。

書いてて思ったけど「〜かしら」が密かに口癖ぽい。『三四郎』で多用されてたのを読んで無駄に気に入ってしまったか。(もとは「〜か知らん」だけど。)

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078

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 『新世界より』のスコア。小学3年の頃に買ってもらった。

 いったい何の啓示があったのか、全ての楽器名がボールペンでぐにゃりと囲まれていた。筆圧が強すぎて紙2枚分くっきり跡をつけてた。もはや彫ってる。しかもうっすらと、全て鉛筆で楽器名をカタカナに直した跡もある。字が汚いのでコントラバスが「コントラドス」になってる。コントラドス。やたらにでかい凶器というところか。

 このスコアには当時9歳が夢中になって書いた小節番号とか移調管の実音での音名とかの鉛筆書きがそこかしこにあって、今開いてみると読むに堪えない。これは貴重資料ということにして、買い直すことにしようと思ったのだった。。

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