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未見坂 (新潮文庫)

未見坂 (新潮文庫)

 

 去る春休みのこと、部屋に残された最後の空きスペースにカラーボックスをでんと構えて、部屋に転がる雑多な本をまとめた。収納だけが目的だったので、カラーボックスの上にちょっとした空間が出現したことが想定外で、とりあえず知人からもらった麻の布生地を敷いてその上に積読本を並べてみて、出かける前や寝る前にはそこから適当に手に取るようにしている。ただし積読本は積んでいる時点で本の役割を果たしているも同然だから必ずしも全部読む必要はない、というわけで気楽にやっていこう、と心に留めて積読本との距離を測っていたら、ついあちこちで本を買い貯めてしまって流石に積みすぎてきたので、今年の夏休みは前言撤回して暇を見つけては消化に努めよう、ということにした。

 そういうわけで読んでいる。

 昨年の大雪の頃に、前々から気になっていた堀江敏幸の『いつか王子駅で』を読んで以来、この作家の書く小説や散文のとりこになってしまった。某一人勝ちの思想家は彼のうわべの朴訥とぬるさを暗に非難していたけれど、それに同意したとしても読みたくなるからしょうがない。それほど魅力を見いだしてしまっている。僕にとっては帰る場所を見つけたようなもので、実際そういう個人的な関係を結べる作家や作品を僕はそう多く持ってないので、いちおう大事にしているつもりだ。すっかり忘れていたがこの積読本を並べるのも、この作家が実践していることをアレンジしたものだった。こう書いてみると気持ち悪い。

 今読んでいる『未見坂』は、表題が地味だしなにか賞が付いたわけでもないので、堀江作品のなかでは若干脇にある小説のようなのだが、しかしおそらく堀江読者が求めているだろうほんのりとした味わいは、他の作品に劣らず十分に堪能出来る。堀江作品の入口にとても良い連作短編集『雪沼とその周辺』と関係した地域がこの作品の舞台で、そこに暮らす様々な人の日常の出来事を、これも連作短編でまとめている。些細な出来事でさっと始めながら、登場人物たちの半生に刻まれた明るい部分も仄暗い部分も徐々に明らかにしていき、出来事を淡々と綴って、しかしじんわりと余韻を残して終わる、というこの手つきが心地よい。

 たとえば「プリン」では、母の体調不良が話の中心で展開して、家の不幸やそれにともなう親族関連の事件のあらましが綴られ、全体的に疲労した暗い陰が差す。しかし初めの終わりに現れるプリンをめぐるやりとりが、その陰を引き受けつつ絶妙に重さを和らげていて、読み終えると複雑な色調を帯びた、あたたかい感情を覚える。と、拙い文章で書いてみるとこんな感じである。

 まだ全部読んでないのでゆっくり読み進めたいけれど、こんな具合で一編ごとに本を閉じて余韻を楽しみたくなる。喩えるのも恥ずかしいけど、ダシの味わいに似たものがこの小説、のみならず堀江作品の大部分にはあるように思う。いまのうちに文章にしておかないと忘れてしまいそうと思っていそいそ書いてみて、字数にびっくりしてそろそろやめようと思うが、あたたかみを忘れないためにも時々こういうことを書くかもしれない。

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