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 イタリアに思いを馳せている。最近枕元に地図を置いて、ぼんやり眺めたりするようになった。イタリアには火山があるんだよなあ、とか、トリエステの位置ここなのか、とか、基本的にマヌケな見方をしている。

 そんななか、兼ねてから読んでみたいと思っていた須賀敦子さんの著作を、今が絶好のタイミングだろう、と踏んで読み始めた。そして今じわじわと、その効用を噛み締めているところだ。

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

 

 

ミラノ霧の風景―須賀敦子コレクション (白水Uブックス―エッセイの小径)
 

 最初に『コルシア書店の仲間たち』を読んで、須賀さんの、友人や、街や、さまざまなものへの眼差しの温度に触れる。自意識の鬱陶しさもなく、残酷なほど突き放した感じもない。ただ適切な距離があり、抑制された語り口があり、そして豊饒な知性の裏支えがある。最近の嫌な雰囲気、日々の不穏さに疲れ果てた身には、凡百の薬よりも須賀さんの言葉が効くようだ。一冊目が読み終わって、その手を休めず二冊目『ミラノ 霧の風景』を今読んでいる。

 夫人の得意なドイツ文学、とくにトマス・マンの作品について、話がはずむこともあった。あるときは、『ブデンブローク』派と『魔の山』派にわかれて、議論が伯仲した。とはいっても、こういった場所での議論というのは言葉のテニス・ゲームのようなもので、ひとりがコートの『魔の山』側に立って球を打つと、いち早く、だれかが、反対側から『ブレンブローク』の球を打って返すという感じの、さわやかな遊びだった。そんなとき、還暦をすぎたフェデリーチ夫人の、生気にあふれた黒い目は、コートに降り立った少女のように、きらきらとかがやいた。[...]

「夜の会話」より(『コルシア書店の仲間たち』)

  須賀さんの文章を読んでいると、自然と文字を追う眼のスピードが少し遅くなる。それほど言葉の咀嚼を喚起させるものがある。この一節は話の傍流なのだが、さわやかな遊び、というフレーズに一瞬行を追う眼が止まる。遊べているだろうか、それもさわやかに。……などと、自分にむけて野暮ったい説教を吹っかけそうになる。

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