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 秋吉台についてまとめられるほど落ち着くまでに時間がかかってしまった。とある案件が難航してしまったせいで、これは仕方のないことだが、そうこうしているうちにもうすぐ10月!この時期にもなると、そろそろ今年の終わりにも目がいくようになる。大学入ってから毎年そうだが、10月が始まったなと思うと年が明けて、年が明けたなと思うと3月が終わっていたりするので、なかなかこれからの季節は難しい。

 さて、新曲を書かねばなるまいということで頑張っている。もともと僕は音のキャラが活きたまんま繋がっていけばそれでよし、という大雑把な態度をとるわりに、全体の構成を考えることにやたら時間をかけがちなところがある。そして、全体の構成を決めるものの、キャラの連接が常に構成を裏切る可能性に悩んでは筆が止まる。細部の連接と、大局的な流れのどちらも十分に検討したい、と考えがちなのは、これもおそらく、勉強不足からくる強迫観念なのだろう。

 秋吉台では、演奏者を信頼することについて、いくつかの洞察を得ることが出来た。ある先生のレクチャーで、奏者から音楽性を引き出すための方法として、タテを合わすという発想を捨てることにした、という話があった。そこで紹介された曲には、いわゆるスコアが存在しない。その代わりそれぞれのパート譜に、この音が聴こえたらやめる、この楽器の次に演奏する、といった個別の関係性を明示する書き込みがある。このような楽譜を通してつくられた演奏は、とても活きたテンポ感に貫かれ、爽やかな時間の流れをつくる。細かい記譜の現代曲で往々にして現れる「規律訓練めいた拍感」が、ここにはない。これには唸らされた。

 この音楽を成立させるためには、音楽素材自体のキャラクターを「信頼」しなくてはならない、と、さる先生はいう。同時に、奏者をどこまで信頼できるか、とも。この態度に踏み切るには、並大抵の音楽的経験では足りないだろう。まず音楽を身体で感じ取り、そのときの記憶をあとで別の音楽や言葉で構成させる、という経験を何度も積んでようやく到達できる態度だ。簡単な道ではない。今の僕にはまだ足りないところである。

 が、足りないだけで、資格がないわけではない。自分の身体と格闘する資格すら奪われたらたまらない。次に書く曲からしばらくは、そういう格闘の連続になるのだろう。そんな自覚があるので、まずは音のキャラを真面目に活かすことを考えていこうと思っている。この方針だと全貌を見通すことが難しい。それは大きな不安をともなう。はたして打ち勝つことが出来るだろうか。

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