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上野公園は連日トレーナーたちが大挙。夜中でも雨でも関係なし。すっかり風景が変わった。あまりにも簡単に人の流れが変わったのでおもしろい。それに自分も紛れてよく公園を徘徊している。順番にポケストップをめぐりながらアイテムを補給しながらのポケモン漁業&孵化のための移動距離稼ぎ。たいていは電池40%でのスタートなので、30分程度。

人が下を向いてポケモンをやりながら歩くようになった、というよりも、ポケモン空間が人間を通して現実空間で見えるようになった、という感覚を持つ。ポケモン空間上のトレーナーの位置が現実空間に人間でマッピングされている。

まどみちおの詩が頭に浮かぶ。「ぼくが ここに いるとき ほかの どんなものも ぼくに かさなって ここに いることは できない」ポケモン以後、これは真っ向から否定される。ARではどんなものも、重なることができる。そうすると空間は二つある。物同士が透過しないで衝突する空間と、透過して重複ができる空間。50匹のピカチュウが全く同じ位置にいることができ、方々からモンスターボールが飛んできて一匹ずつ捕まえることができる。してみるとわれわれは、衝突する世界にいながら透過する世界にアクセスしていることになる。これはどういうことなんだろう。透過する物たちを、衝突する物体を媒介して操作する、とは。

あるいは音楽について考えているのかもしれない、と思う。音楽も音同士は重なることができる。音は衝突しない。透過し重複する音たちを束ねることを和音とかいう。ただし五線上では同じ音の重複をうまく書きあらわすことができない。これも、衝突空間を介した透過空間内の操作のうちに入る。調和という状態は、透過するものたちのあるひとつの秩序を言っているのだろうか。

とかなんとか思いながらいつも上野公園を歩いている。いまのところポケモンの最大の愉しみは、同時に複数の空間に居ることができる、ということだ。

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