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*隔年開催のジュネーヴの作曲コンテストがYouTubeで観れた。独奏クラリネットを伴うオーケストラ曲がお題で、ファイナリスト3人のうち2人は韓国出身の20代前半。現代音楽も最近は中韓の波が押し寄せている。いやむしろ本来のアジアの波か。

*3作に共通するのは、ヴィルトゥオジテ(第1位が翌年の課題曲になることを思えばまあ当然)、微分音を含んだ和音、うなるクレッシェンド。前衛の世代もポスト前衛も絶え、いまは彼ら彼女らの残した残骸から好き好きにパッチワークをして作品をこしらえる。その傾向はしばらく変わらないだろう。自然倍音を鳴らしてスペクトルとのたまう時代だってとっくに終わっているのだから。

*全体をとおして、現代音楽にはいま問いがない。にもかかわらず問いのなさを誰もが合意できないのは、どこかでまだジャンルの生を信じているからではないだろうか。最近は、虚心に死亡宣告を受け入れるのもありだと思うようになって(ようやく)、虚ろに作品に触れることが多い。かといって絶望しているわけではない。かつて文化の王権を握るまでに至ったジャンルが、1世紀を通して衰退の線を描いたことは、保存されてしかるべきだろうと思うから。すると作曲家という態度は、だんだん墓守のように見えてくる。それかヴィシェフラドの興亡を歌う吟遊詩人か。